TGIF!!

Thanks God, it's Friday! I can play video games!!

あけましておめでとうございます…からの1人ネット老人会

大掃除をしなかったので今頃部屋の掃除に追われているベイマです。
あけましておめでとうございます。
ドラクエにインしたいのですが、物理認証キーが見つかりませんw 旅行先で失くしてたら泣くw
仕方がないので(?)スマブラを進めています。
一昨年から微妙にゲームの時間が増え、去年から新しいゲームにも手を出し始めた私ですが、本年の目標は

SNSなき昔(個人サイト盛んなりし頃)は、自サイトで絵も文も晒していたという…。
でも晒すことで輪ができて、色々交流したりイラストを教えてもらえる人もできたりしてたんですよね。
もうそういう文化は廃れてしまったと思うのでBBAどうしたらいいか分からない…。
そもそも若かったので好きなものに対するモチベーションと時間の使い方が違ったわけだけども。
好きこそ物の上手なれは変わらないと思うので、好きなキャラを、好きなゲームを、好きだと表明するツールのひとつとしてイラストを描けるようになりたいなと思います。

さてここから、しばし昔話。

小説はある程度自負があって、まあそこそこの物が書けていた。昔は。
シェイクスピアではないけれど「想像(二次だけど)の溢れる泉」みたいなのが脳にあって、それをアウトプットしないと泉が溢れて大変なことになりそうな勢いだった。だからものすごい量の小説をほとんど苦なく書くことができた。そして今同じようにできないのは、そこまで作品にハマっていないのか、老いか、おそらく両方であるとわかっている。

その頃、私はとある物書きさんに縁を切られたことがある
当時の私にとって「イラスト=苦手、時間のかかるもの、できる人すごい」「小説=得意、そこまで時間いらない、上手い人はすごい」だった。
その物書きさんの文は丁寧で、私のともすれば論文調になる小説とはタイプが異なるが読みやすくて好きだった。
その人に縁を切られたとき、私がどういうもの言いをしたのかもはや覚えていない。
シチュエーションは覚えている。
その人が、「小説の息抜きにイラストを描きました〜」と言ってイラストをアップしたときだ。
おそらく私はそのイラストを褒めたと思う。
だが、その人は私のことを「イラスト=すごい・小説=すごくない」という考え方をしていると判断した。「私は時間をかけて苦しんで小説を書いている」のようなことを言われたからだ。
私には寝耳に水だった。
単に自分が(あくまで二次)小説を書くのはモチベーションがものすごくあるときだけで(そして当時は常にやる気にあふれていた)、とにかくアイデアに筆が追いつかないレベルだったから時間がかからないだけで、ほかの人の作品まで時間がかかっていないとは思っていなかったし、その人の作品は間違いなく好きだったから貶す必要がまったくなかったのだ。
それからしばらくネット上での物の言い方の難しさに悩んだけれど、まだ数年は続けていた。

しかし私も大人になったのか、好きだったものにかけられる時間が少なくなると、想像の泉は枯れてしまった。
そうすると小説は書けなくなった。
基本的にシリアスなものを書いていたせいもある。
そこまでハマる作品も出てこなくなったので(これも老い)、「私が書かねば誰が書く!」というモチベーションもなかった。
今ならわかる。
小説を時間をかけて苦しんで書く、という意味が。
そして息抜きにイラストを描く、といったあの人の言葉の意味が。
私の基本的な性質が文字書きだからこそ、ようやくわかった気がした。
書こうというモチベーションがわかない、書きたいシーンが降りてこない、そんな状態で文を書いてみたところで納得がいかない。ああ、なんてつまらないのだ自分の文は!!!
妙な自負がある分、安易に文章が書けない……まったく楽ではない。

……だから、今は息抜きにイラストを描きたいと思うのだ。
これは決してイラストや漫画を描ける人を貶すわけではないことを断っておく。
だってそれは私ができるようになりたくて、でもできなくて、憧れているものだから。

ああ、うまく伝えられなくてまた誤解されたらどうしよう。
絵も文も、いずれかちゃんとかける人……かこうとしている人はすべて、ジャンル・カテゴリーを問わず私にとって尊敬の対象です。
イラストは、私にとっては、上手くないことを百も承知なので晒すのが気軽、ってだけです。
気軽さは私の中でのイラストと文を比べたときの相対的な話であって、他の人には当てはまらないし、絵と文のどちらかに優劣をつけるものではありません。

そんなわけで2019年。
その頃の塗り方でトーマ兄様を塗りました。
今の限界値がこれ。

年末にはもう少しマシになっているでしょうか。(今年の年末は忙しいの確定してるけど)